かつては、関関同立No2であった名門大学が、80年代前半に凋落し、関学、関大に抜かれ、京産にまで追い上げられた大学が、反動形成かどうか分からないが、90年代から現在にかけて大学改革のトップを走り、再び10万人を超える受験生を獲得し、関西私学の雄、同志社を脅かす存在にまでなった理由をこの本は忠実に再現してある。同時に本書は大学冬の時代に備えた改革の重要性を説いている。
かねてより、立命館大学には革命の遺伝子が組み込まれているという。かつてこの大学は陸軍中将石原完爾を講師として招き、大日本帝国期の我が国の満州利権とも密接な関わりを持つ右派大学として京都に存在した。その後の戦争終結後立命館大学は戦後左翼の牙城として、急旋回するかの如くその思想を転向し、関西某政党候補の2人に1人を輩出する大学として京都に君臨してきた。そして昨今、立命館大学は3度の革命を体現しようとしている。少子化する社会における私大経営のモデルとして、改革開放を旗印にするかの如く、入試方式の多様化、宣伝広告の多用化、芸能人の入学と、各種の主体的な取り組みを見せている。その効用あってか、当大学の受験者数は近年急増し、大学経営は非常に潤って�!��!!るという。しかし一方で、どれだけ大学経営が潤沢な資金を持ち得てもそこで生活する学生の生活は向上しているだろうか、卒業生は大学を誇りに思っているのだろうか。そして何よりも、この大学に通う学生を社会はどう認知ているだろうか。立命館大学に欠けているのはむしろそうした、学生の立場の認識や未だ抱え続ける教育上のアプローチなのではなかろうか。確かに、現状の経営を鑑み立命館大学はその商業主義的革命を実現したと言って良い。これは私大経営に見られる「立命インパクト」か、それとも「やがて立命館の崩壊がはじまる」かは今後歴史の判断に依るだろう。本来卒業生が大学を誇りに思い、また、そうした愛校心を持てる立派な大学であるならば、立命館の認知や経営、社会的価値は自�!��!!から向上する。少なくとも、教育機関の価値向上や経営モデルはこうした自画自賛本の類によって達成されるほど甘くはない。
わたしは、立命館大学の学生である。どのように「母校」「立命館大学」を自画自賛しているのか、非常に興味をもち、気が進まないうちに購入した。しかし、前書きを読むうちに憂鬱な気分になった。直接的に本の内容に触れようかと思うが、あえて避けておく。「自画自賛」「独りよがり」。よくこのような本を出版する気になったもんだ。その根性だけは見上げたもんだ。この本は在学生にとっても、卒業生にとっても、これから立命館にかかわる人々にとっても、誤解の元である。頼むよ立命館。(この内容、近頃ちまたにあふれる空港経済学≒某隣国の自賛本に似ている)